気持ちと味と、好みと今と

お題「思い出の味」

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Photo by Nick Karvounis on Unsplash

 

「美味しくない」

「そうだね」

 

好きになった人が美味しくないと言うと、それは今後の食卓の方針に関わる問題だった。変換しよう。「お前はいらない」。耳で聞いた音は、心の奥底で確かにそう響いていた。

 

今口にしているのは、私が茶碗3杯気にせず平気でたいらげていた頃に、踊る気持ちで口に掻き込んでいた「麻婆豆腐」。母が実家から作って冷凍し、送ってくれたのだ。解凍・加熱した後、豆腐をいれて少々煮込み、最後に片栗粉を入れて完成、という状態まで作り、ジップロックに入れてくれていた。

 

彼女が食べたのはその麻婆豆腐。

 

私にとって思い出の味である料理でも、素直な感想を告げる彼女の口は言葉を曲げない。心で感じたことがそのまま外に出る。それならそれでいい。素直なことは美徳ですらある。だが問題はそこではない。

 

私はこれが思い出の味だと、彼女に知られてはいけないのだ。

 

「ひとが大事にしているものを、おいしいとかまずいとか言っちゃいけない。その人にとって大事なものなのだから」

 

沈んだ様子で何度も悲しむ彼女を見てきた。素直な口は、彼女の心も無視する。他者であれ、自分であれ、同じように素直に言葉になる。わがままと他者から罵られる人生は、彼女自身もその被害者だった。

 

もし彼女が知れば、また人を傷つけた、と自分を傷つける。

 

思い出の味は、心の中へしまおう。

 

「確かにパサついてるし、味が薄いよね」

 

ただ、胸の奥で息が詰まって、笑う自分が心の中の黒がりへと沈んでいった。

目の前で彼女は一言「ちゃんとしたのが食べたいな、今度食べに行きたいね」と、笑うのだった。