ウィスキーの瓶を片手に池袋から富士山を目指し始めた十
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インドの修行僧のような素朴で朗らかな笑みに手にはビールというアンマッチなバランスで現れたのは、スタッフの一人である山中だ。彼は新宿の劇団員に所属しながら、アルバイトをしつつ生計を立てている。キッチンとホールの境目にある暖簾の下から、ビールを持って現れたのは、彼が仕事を終え、バックヤードから直接客席へ来たからだ。もちろん周囲の客への配慮はしているが、仕事上がりに働いた分の何割かを落としていくのは悪い習慣として根付いている。これもみな独り身だからこその習慣だが、いつかはやめねばなるまい。
おつかれ、と軽く挨拶しつつ隣へと座る彼を見やった。本来勤務を終える時間より二時間は早い。背中を過ぎる人の気配が少ないことからきっと売り上げは芳しくないのだろう。そもそも売り上げが足りない故に、人手が余ってしまい有給をとることになったことを踏まえれば思うことはない。
「うぇーい、富士山行くの?」
軽薄なノリは彼なりのスタイルだ。誰とも挨拶を欠かさない真面目さを隠すようにチャラメな笑みと共にグラスをぶつけ合う。
「明日から行こうと思う」
彼はグラスに軽く口を付けると満足そうな笑みを浮かべた。