ウィスキーの瓶を片手に池袋から富士山を目指し始めた九
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この店で支払いを安く済ませたいのであれば、ポテトがおすすめだ。ボトルを入れて、お通しをカットすればずいぶん安く飲める。ただ客単価を異様に上げるお通しも、自店で見慣れてみれば、意外と体に良いものだと許容できるようになるのかもしれない。お通しはカットせず、キャベツと塩昆布がのったそれはカットせずにもらうことにした。
カウンター席の前にあるガラスには炭火の素が弾けて怪我をしないよう、ガラスが張られている。真空を挟んだ向こう側には無数の粒子が汚れとして付着している。毎日拭いてはいるもののそのすべてを拭き取ることは難しいように、たとえ目の上のたんこぶと思われるような私自身も、どこからともなく沸いて出るゾンビのようにカウンター席へへばりつき、ウィスキーをかっくらう。口からは無限の宇宙の可能性について語るような言葉が紡がれるものの、それらは漂う塵のようなもので、要は飲んだくれの挨拶のようなもの、休みの日にはお店に顔を出して酒を飲むのだ。
「富士山にいくんだって?」
そんな人間に声をかけるのだから店長というのはきっと人権を破棄した働く労働マシーンなのだろう。八十年代を彷彿させるようなカクカクとしたパーツが組み合わさったような顔の店長は、鍛え上げられたハートを燃やして顔面を笑顔へと変形させた。
「はい、歩いて行ってきます」
季節は夏だから富士山と聞いても別に変なようには思わないだろう。頭の中だけでも、それは別に違和感を覚えない。「へぇ」とも「すごいね」ともならないのは、きっとすごく微妙な事を言っているからだと思う。共感するにもそもそも想像もできないし、興味もない。それを補わないのは、返事にかける時給がもったいないからだろう。いちフリーターにかまうほど人間は暇にできてはいないし、話そうが話すまいが酒飲みはカウンターへと返ってくるのだ。挨拶は一言二言でいい。
それを心得ているのか、店長はお通しを持ってきた後、すぐにレジ横のパソコンへと引きこもった。
キッチンを覗けば、肌色の濃い外国人がチャーミングな笑みでこちらに手を振るのだった。