在宅勤務。その2 〜 NOの階段 〜
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張り過ぎたギターの弦のような体を引き摺り外へ出る。左右に分かれた階段はYESとNOの設問ともいえ、重い体を引きずって、脳内でNOと印字された階段を上って行った。途中、先日降った雨の名残である水溜りの冷たさがサンダルの穴から土踏まずへと伝染する。
パン教室でも始めるようなポップでキャッチーな音楽が力八割の青空に響く。混ざりっけのない音の振動を、耳の奥に吸い込みながら、肺に落ちるヘドロのような紫煙と共に感じる。この習慣をなくして、寄る年並みに抗おうと張り切るお年寄りに混じり、心身溌剌とエネルギーを発することの尊さは一生わかりそうもなかった。
頭の片隅には絶えず「ラジオ体操」の文字が踊っているが、肝心の本体はより空に近い場所へ移動して、大気へと吸って吐いた紫煙を追うことこそを日課としていた。
体を伸ばすのが重要、と昨日には家人に告げていたはずなのに、自分の唯一の自由な時間となれば、天井のない場所での煙くゆらしに誘われてゆく。何の負荷もなくなれば、くゆらしにゆくのだから、これはきっと「好き」というのだろう。
ラジオ体操の音楽が止まる。
蜘蛛の子を散らしたように離れてゆくお年寄り方が頭に浮かんだ。
頬に触れる空気は冷たく、服内に残ったわずかな内気が外気と混ざろうとするのと同じように、寝起きから活動状態へとエネルギーギアが切り替わりつつあるのを感じた。この習慣がないと1日が整わないことを、これまで在宅ワーカーとして暮らしてきた2年が教えてくれた。
朝日から1日を過ごす力は与えられていた。