思い出せば体がうずくほどに染み込んだ記憶
Photo by Eduardo Balderas on Unsplash
実家のリビングには私が学生時代に出場していた野球の試合の写真が飾ってある。打席の中がアップされたスイングしている写真には、縦縞のユニフォームに身を包んだ自分の姿が写っている。
今でもよく覚えているのは、打ったボールが高めのボール球だったということ。
「あ、高いな」
心の中でそう思ったのを覚えている。それでも飛行機を滑空させるがごとく勢いで振り始めたバットは止めることができず、水平一閃、振り抜き捉えた打球は、行方を見失うほどの勢いで飛んでいった。
文字通り、最初は行方を見失った。それからしばらくして、グラウンドに立つ野手が動きを止めるのをみて、打球は手の届かないところにいったことを知る。見れば確かにフェンスの上をボールが通過していくところだった。
その瞬間は、人生の中で何度も何度も思い出す。
通勤途中の駅の階段をのぼる時や、食事の後、布団に寝転がり静かな沈黙が訪れた時。今でもその瞬間を思い出す。
ただそれは、家にその瞬間の写真が飾ってあるからだと思った。
実家に帰り、リビングに飾ってあるその写真を見るたびに思い出す。
初めは見ても、「あぁあの時の写真か」としか思わなかった。しかし何度も見るたびに、意識の裏で、その瞬間へと体が過去へとかえっていって、本塁打を打っては今へと戻ってくる。年に2度は帰省して、その度にその瞬間に立ち会った。
写真を見るたびに見るたびに思い出す。そして思い出の一枚は、と聞かれればその1枚が思い浮かぶのだ。
今日もまた、あの日の打席へとかえっていった。