ウィスキーの瓶を片手に池袋から富士山を目指し始めた四

f:id:koujiakamura:20200322140032j:plain

Photo by John-Mark Smith on Unsplash

 

 青い稜線の向こうから、陽が昇るのを感じた。果てしなく遠い世界から光はここまで旅をしてくるのだ。もしも途中に道がなければ、光はここへはたどり着かない。だとすればこの地球上のうえ程度、自分の足でたどり着けないことはないと思った。

 空気が違うと感じたのは、匂いかもしれない。仕事がある日とない日では、鼻孔が集める空気の質も違うように感じるから不思議だ。何度かこういう経験はしたことがあるが、十連休ともなれば、いつもよりもずっと遠く知らない世界への切符を手に入れてしまったかのようで、自由を求めていたはずなのに、逆に葛藤に苛まれることになることを知った。

 六畳のリビング兼寝室のベッドから足を下ろした私は誰もいるはずがないのに、息を忍ばせ物音がしないかを確認した。特別な日が始まったのだ。それに伴う変化を一ミクロンも逃さないと意気込むように、気持ちが整うのを静かに待った。大気と共に人が抱く感情や、感じる感覚も常時変動することを私は知っている。それは世界の常識として認知されてはいないが、とりとめもなく変化してゆく世界を見れば歴然の事実だった。

 だとすれば流れる感覚の狭間をつかみ、その間に身を投じようというのは実に自然なことに思う。私は息を潜め、目には見えないものの到来を待った。

 それはそんなに時をおかずしてきた。浮かんできたのは、台所の映像である。まずは食欲を満たすことが先決のようだ。私は米を炊き、簡単なおかずを買ってきて腹を満たした。夜勤を終えた衣類が洗濯機に放り込まれているのを見て、スイッチを押すことにした。

 リビングへ戻るとテレビをつけた。コーヒーマシンのボタンを押し込めば、けたたましい音と共にコーヒーを淹れる動作が始まる。始まった十連休を疑うように、少しずつ家事を進めていく。いつも通りに体を動かせばやがては日常との異変に気付くはずだーーまるで海外へ行った時差ぼけを修正するかのようにいつもと同じ習慣と、そして体を休めることに努めた。

 それらしい動きを始めたのは夜だ。