ウィスキーの瓶を片手に池袋から富士山を目指し始めた五

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Photo by Filipe de Rodrigues on Unsplash

 

 酒が足らない、というわけではない。元々自分は酒を飲む方ではない。それでも居酒屋に長く勤めていれば、絶えずウィスキーの瓶を持ち歩く程度にはなる。ゲームの中なら、剣士が剣を持つように。私は酒を持っていた。

 

 部屋に時計はない。ゴミ袋にせっせと詰めて廃棄した記憶の中には、ありとあらゆるものがあるが、あれは確か小型家電の日に捨てたはずだ。家には湿気た空気と狂った爺の二つだけを置いて私は生活していた。これからよっぽどましな部屋に引っ越すことになるのだが、このときの私は、作務衣にサンダル、仕事で着るユニフォームと下着を二枚、そして冬を越すためのオイルストーブに、物を書くための机と椅子、そして万年筆と紙だけを備えていた。

 冬は寒かった。四輪ついたオイルストーブの足にすがりつくように抱きついて眠った。いい思い出じゃない。思い出せば若干の吐き気を催す不快な記憶だ。時折こうしてかつての記憶を思い出す。

 作務衣にはポケットが一つついていたが、そこにはお札と小銭が入っていた。財布は持っていない。保険証ごと財布は手放した。お守りのように飾られたウィスキーの小瓶を持って、家を出て、いつもの通勤路を歩き出した。

ウィスキーの瓶を片手に池袋から富士山を目指し始めた四

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Photo by John-Mark Smith on Unsplash

 

 青い稜線の向こうから、陽が昇るのを感じた。果てしなく遠い世界から光はここまで旅をしてくるのだ。もしも途中に道がなければ、光はここへはたどり着かない。だとすればこの地球上のうえ程度、自分の足でたどり着けないことはないと思った。

 空気が違うと感じたのは、匂いかもしれない。仕事がある日とない日では、鼻孔が集める空気の質も違うように感じるから不思議だ。何度かこういう経験はしたことがあるが、十連休ともなれば、いつもよりもずっと遠く知らない世界への切符を手に入れてしまったかのようで、自由を求めていたはずなのに、逆に葛藤に苛まれることになることを知った。

 六畳のリビング兼寝室のベッドから足を下ろした私は誰もいるはずがないのに、息を忍ばせ物音がしないかを確認した。特別な日が始まったのだ。それに伴う変化を一ミクロンも逃さないと意気込むように、気持ちが整うのを静かに待った。大気と共に人が抱く感情や、感じる感覚も常時変動することを私は知っている。それは世界の常識として認知されてはいないが、とりとめもなく変化してゆく世界を見れば歴然の事実だった。

 だとすれば流れる感覚の狭間をつかみ、その間に身を投じようというのは実に自然なことに思う。私は息を潜め、目には見えないものの到来を待った。

 それはそんなに時をおかずしてきた。浮かんできたのは、台所の映像である。まずは食欲を満たすことが先決のようだ。私は米を炊き、簡単なおかずを買ってきて腹を満たした。夜勤を終えた衣類が洗濯機に放り込まれているのを見て、スイッチを押すことにした。

 リビングへ戻るとテレビをつけた。コーヒーマシンのボタンを押し込めば、けたたましい音と共にコーヒーを淹れる動作が始まる。始まった十連休を疑うように、少しずつ家事を進めていく。いつも通りに体を動かせばやがては日常との異変に気付くはずだーーまるで海外へ行った時差ぼけを修正するかのようにいつもと同じ習慣と、そして体を休めることに努めた。

 それらしい動きを始めたのは夜だ。

ウィスキーの瓶を片手に池袋から富士山を目指し始めた三

   ウィスキーの瓶を片手に

     池袋から富士山を目指し始めた三

 

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Photo by MARK S. on Unsplash

 

 有給申請の書類を書き終え、シルバーのコールドテーブルの上にペンを置く。申請日数の枠には十の数字が書かれている。

 

 十日ーー

 

 このお店に入って以来、五日と離れたことはなかった。一週間でほぼスタッフの全員の顔を見るため、仮に三、四日休みが続けば、誰々に会っていない、あの人は元気にしてるか、なんて想像が膨らむ。二連休でさえ、一人部屋で天井を見上げては、今日は予定がないと復唱するような日々なのだ。カレンダーの過ぎた日にちに丸をつけるだけでも気が重くなる。

 

 お客のいない居酒屋のデシャップ(キッチンがホールのスタッフへ料理を渡すところ)で、スマホをいじる同僚を前に、「うーん」と唸ってみせるが反応はない。

 その時、ふと頭の中に一つの案が降ってきたことに気づいた。そうだ、これにしよう。

「富士山に歩こう」

 ちらりとだけ、同僚の目がこちらを向いた。しかしすぐに画面へと視線を戻す。

「富士山に行こうと思う」

「おお」と今度は先ほどより明確な反応が返ってきたが、別に興味を持っている様ではなかった。口元だけ笑いの形をとってはいるものの、先ほどから画面に向けられた目は執拗なナンパ男のように周囲の状況を無視して目当ての女を追っていた。彼が動くのはお客さんか社員が来た時だけだ。

「歩いて行く」

「まじか」

 意外にも今度はしっかりとこちらを向いた。しかし向いただけで、やはり興味の中心はスマホの中か、その向こうにいる女へと向いているのであろう。人付き合いのマニュアル本にでも書いてあったのか、必要最低限の反応だけを返して、元の姿勢へ戻った。そこまでいけばさすがの私もこれが人の気を惹くような話ではないことがわかる。

 なぜ行こうと思ったか、とか細かい理由は思いつかなかった。ただ十日という日にちと、あいた日数で何ができるか、というのを考えたらたまたま思いついたのだ。過去一日で六十キロまでなら歩いた経験がある。そこから導き出されたのかもしれない。

 とにかく、富士山に行こうと思ったことに理由なんてなかった。ただ空から降ってきて、たまたま目の前に落ちてきた、それだけなのだ。

西へ歩く2

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Photo by Antonio Prado on Unsplash

 

最初は生活費を稼ぐために近場で働こうと、ぱっと目にとまって応募した居酒屋のアルバイト。これまで料理が得意ではなく、インスタント麺をゆがいたり、肉を炒めたりするばかりで、料理というものがまるでできなかった。特に過去勤めていたカラオケ店や牛丼屋でも、料理は苦手で将来飲食店の働き口には触りたくない、と思っている中での応募だった。

 

ならばなぜ居酒屋にいるのかと聞かれると、それは頭から湯気がでるような恥ずかしい理由なのだが、よくある炭火焼き○○といった看板を見て、「焼き肉屋なら料理じゃなくて肉を切ったり盛ったりするだけだろう」なんて安易な気持ちで電話をしたのだ。あそこでいいや、の適当さはまさか自分が何屋に働きに行くのかもわからないほどだった。

 

しかしそんな適当さで始めた居酒屋に7年もの間勤めることになるとは、まさかこの時には思いもしなかった。結果だけみれば100点の適当さで選んだ勤務先だったが、自分の性格と水が合っていたようである。どれだけ苦労して勤め先を選んでも、その日になれば行くのが億劫で、何度か勤めた後、シフト希望を出さなかったことなんていくらでもある。ところがここは週に5日から6日。がっつりシフト希望をだしてそれを7年続けた。これだけ適当に選んでうまくいくなら、探す苦労などいらないじゃないか、と思うと同時に、あのときは神様が私自身にわからないように手綱を引いてくれただけで、すべてはこのようにはいくまい、と思った。

西へ歩く

 

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Photo by Monty Allen on Unsplash

 

アスファルトからの照り返しで景色がゆがむにはまだ早い頃、ひょうきんな相棒を片手にこれから長い旅路をゆこうと道の上に立っていた。季節はまだ暑さの絶頂を迎えてはなかったが、すでに私の視界としては、ゆらゆらと行く先が揺れているように見えた。道の先には、見たこともない景色が広がっている。そう願ってやまない。

 

富士山へ行く。池袋から歩いて。

 

作務衣ひとつにサンダルの格好。片手にはコンビニで買える180mlのポケット瓶を右手の人差し指と中指の間に挟みぶら下げている。

 

友人の家を後にして歩き出した足は、家に寄ることなくコンビニによるような勢いで西へと歩みを進める。富士山までおよそ150km。ただ西へ行くことのみを考えて私は歩き出した。このとき、私は携帯を持っていなかった。あるのはわずかな頼りとして持った1万円の紙幣のみである。

 

富士山へ行こう。この有給休暇を消化するにはそれしかない。

私はそう思った。

 

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申請書に申請月と本来出勤するはずだった日付に丸をつけ、記名が必要な箇所に名前を書いてそれから申請する理由を書き込んだ。理由はたしか、『就職活動のため』と書いた気がする。お店に導入されている業務用のプリンターから印刷された『有給申請書』のインクは、7年勤めた記憶と経験によって積み重ねてきた分、特別な枠組みに見えた。

 

文字を書く手は、少したどたどしかったかもしれない。社会保険に加入してから4年は時が経った。有給申請なんてものをとるのはここ最近の出来事のように思う。これまで働いてきて関わったどの先輩も、そのような仕組みについては使っているのを見たことがなかった。巷できく有給申請なんて言葉は、自分たちアルバイトとは全く関係ない出来事だと思った。

 

ただここ最近、社会保険に加入するアルバイトが増える中、年月が過ぎれば自分たちの持つ有給申請の日数が繰り越されることなく、消滅するというのを聞いて以降、アルバイトの間でも有給を積極的に使っていこうという話になったのだ。

 

 

西へ歩く、その2へ。

現金支給も自殺5人も申請開始も蚊帳の外から眺めてる

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Photo by Mitchell McCleary on Unsplash

テレビで流れるザラザラとした音声はいつの間にか聞かれなくなったが、頭に浮かぶノイズの量は変わらなかった。音声は喫茶店で流れる無害なラジオのように、ただ緩やかな時間の流れを告げるように経済の危機や一般家庭への補助に対するニュースがリビングには流れていた。

 

コロナウィルスはマスコミの過剰報道だ、という内容のメールマガジンの文面が思い出されたが、それにしては目先のピンチでここまで動かざる得ないというのは解せない思いがこみ上げてくる。外出を控えることや、経済が滞ることですさまじい不況が訪れ、失業者の数が激増。翌年には寒気がするほどの自殺者の数を目にするだろうとのことだ。

 

確かにそうなのかもしれない。直接的な因果関係が見えないが、それはきっと目隠しをされたジェットコースターのようなもので気がついたときにはすでに手遅れ、ものすごい勢いで経済が落ちていくに違いない。自分もそのコースターに乗っているのだ、という実感がないだけに、すべては絵本の中での出来事で、顔を上げればさぁ現実しよう、なんて展開が待っているのかもしれない。

 

現金支給だ、申請開始だと言われても、対象外対象外と外れてゆく。

三菱でも過去10年間で自殺5人という数字が出ている。これからはもっといろんなところでそんな声が聞こえてくるのかもしれない。

 

不況よし

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Photo by Aziz Acharki on Unsplash

 

パナソニックの創業者・松下幸之助

 

 「好況よし、不況さらによし」

 

と言ったそうですが、それを聞いて「え?そうなの?」と胸が軽くなる思いだ。

 

毎月つけている家計簿のグラフが見事に右下がりなのを見て、心中火山にでも飛び込むような想いで生きています。経済は緩やかに回復している、という声もメディアでは聞きますが、経済というのが個人でも機能しているのであれば、それはとんだ嘘ということになる

 

なにせ、状況はどんどん悪くなるばかり。私の毎日は分厚い暗幕で閉ざされた教室のように暗く、少しでも動けば散乱した机や椅子に指先が触れて、煩雑な音とともに惨めな醜態を脳が記憶していく時間を過ごしている。

 

不況さらによし、という言葉を見ても、冷凍庫にある湿気ったアイスモナカを見つけたような気持ちで、人生細かいことを気にしても無駄、というドラマの脇役が笑い飛ばしそうな台詞と、不況だからこそ本当にチャンスのあるものが見つかる、とか自己啓発系のtwitterなんかで目にしそうなやっすい台詞が脳によぎった。

 

好況よし、不況はさらによしかぁ。

 

じゃあ自分の状況はどうなのだろう。不況だがよしなのだろうか。好調なときとの違いを比べようと思ってみても、手頃な好調な状況なんてものはなかった。比較がないなら不完全ながらも、今ある材料で考察してみようと思う。

 

この状況、自分は何がよしか。

精神が鍛えられる。生活の無駄が整えられる。断捨離。お金の使い方を見直せる。運命に賽を任せすべての責任から逃れられる。

 

個人的には最後のやつだけ有用だ。運命様にお願い!なんて手を合わせてしまいそうだが、かろうじて残った自尊心のようなものがそれをおしとどまらせる。コーヒーでも淹れにいこうかしらん、首を傾ける。

 

おそらく、と頭のどこかで声がする。

そんな改善策が〜とか、断捨離できる〜とか、そんな短絡的なことでない気がした。単純に、苦労した分よいことあるよ、とかそういう話な気がする。だったらやることは1つだ。

 

どうにかこらえて日々を生きること。

固く結ばれた紐の結び目を爪先で解いて再利用するような日々だけど、それでも堪えに堪えて生きること。きっとそれが自分の人生のテーマなのだと思う。

 

堪えること。これを指針に人生を追求してみよう。

ならば不況よし、だ。